Yuki Takeuxhi Solo Exhibition 2021 Jan.16 – Feb.14
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Decoder
Year: 2020
Material: 115 images encoded in Golden Record sound, vibrating speakers, amplifiers, iPod classic, fan, OHP projector, screen, silicone oil, Glitter powder, acrylic, aluminum, iron, clamp
Dimensions: Variable
(Installation dimensions: H250×W210×D240cm)
Location: AZUMATEI PROJECT, Solo exhibition “SETI”, Yokohama
1977年、ボイジャー1号・2号は、太陽系の外惑星と太陽系外の探査、およびSETI(地球外知的生命体探査)の任務を受け、宇宙に向けて打ち上げられた。2機のボイジャーは太陽系の天体に関する様々な探査を行い、2021年時点で、ボイジャー1号は地球から最も遠い距離に到達した人工物として遥か彼方を飛行し続けている。ボイジャーにはSETIの実践として、地球の生命や文化の存在を伝える音や画像がアナログ信号で刻まれたレコードが搭載された。このレコードはゴールデンレコード(以下、GR)と呼ばれ、レコードの信号を地球外知的生命体が解読し、我々の存在に気づくことを期待したものである。GR は音声メディアであり、記録された115点の画像は、音声波として記録されている。レコードカバーに刻印されたサインを解読し、適切な方法でデコードができれば、音声波から画像を生成することが可能になる。
本作の振動スピーカーが発する音は、115点の画像からエンコードされた音である。一般的にはノイズと感じられるような音に画像情報が詰まっているというわけだ。
形式や表現方法を変えることで伝達の濃度は変化する。これまでに理解しえなかった間柄では、伝え方・伝わり方でその交流が歪められた可能性はないだろうか。一方で、コミュニケーションが困難であればあるほど、何かを共有できたことで共に味わう多幸感がきっとある。宇宙という広大な領域においては、人類の知覚できる領域をはるかに超えた次元の存在がいるだろう。知覚領域の差異だけでなく、認識の差異によるコンフリクトは地球上でも、隣人同士でも発生する。私たちが認識の限界を固定化してしまったが故に、分かり合えそうもないと諦めるのではなく、メッセージの向こう側を想像するためのデコーダーである。
Bach, Brandenburg Concerto No. 2 in F. First Movement
Year: 2020
Material: Two framed inkjet prints, 4 LED lights linked to BWV 1047
Dimensions: each H118×W68cm
Location: AZUMATEI PROJECT, Solo exhibition “SETI”, Yokohama
2つの平面と照明は、ボイジャーのゴールデンレコード(以下,GR)に収録されたヨハン・セバスチャン・バッハ作曲のブランデンブルク協奏曲第二番(以下、BWV 1047)の第1楽章にまつわるものである。ここではルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン(以下、LW)の定義する「像」についてアプローチしている。大づかみの理解では、LWのいう像とは現実の模型である。私たちは、現実を伝達・表現するときに、現実それ自体を再現不可能なため、言語や音、絵などで表す。これをLWは現実の模型=「像」だという。ぼくはBWV 1047の複数の「像」を投射した。
・楽譜…音楽を記号で書き表したもの
・画像…GRで用いられた画像を音へ変換する工程の逆をたどりBWV 1047の音源をエンコードしたもの
・照明…BWV 1047のビート、ムード、ジャンル、テンポなどに合わせて明滅する
通常の伝達方法では共有不可能なメッセージを相手と交換するためには、より多くの写像関係を構築する必要がある。そして、この方法論は芸術表現におけるレトリックともオーバーラップしている。
L-abor
Year: 2020-2021
Material: Coins, paper cups, motors, toothed belts, aluminum, iron, stainless steel, wood, tripods, Human sensor, motion sensor LED light
Dimensions: H130×W67×D120cm
Location: AZUMATEI PROJECT, Solo exhibition “SETI”, Yokohama
人が接近すると、コップを振ってジャラジャラと硬貨を鳴らす彫刻。
お金はフィクションであると同時に、私たちの重要な価値交換ツールでもある。私たちの多くは労働の対価として金銭のやりとりをしている。意識のないロボットの場合、対価を得ずとも目的化された仕事を行うことができる。しかし、知能が発達し自我に目覚めたAIはお金をせびってくるかもしれない。その時、わたし達はこれまでのように、お金による価値交換をするのだろうか。あるいは、全く新しい価値交換システムを構築できるのだろうか。
Odradek
Year: 2020-2021
Material: Water-based resin, optical fiber, stand light, LED light, Human sensor LED light
Dimensions: sculpture: H48×W45×D45cm, lamp: H182×W50×D32cm
Location: AZUMATEI PROJECT, Solo exhibition “SETI”, Yokohama
フランツ・カフカの短編小説「父の気がかり」(Die Sorge des Hausvaters. 1915,池内紀編訳,カフカ短編集,岩波文庫,1987)には、オドラデクという、おそらく生命体と思われるものが登場する。カフカは、オドラデクについて色々な角度で描写する。読者はオドラデクがどういった存在なのか、想像しながら読み進める。僕の頭に浮かんでいるソレとあなたのソレ、カフカのソレはきっと微妙に異なっている。それぞれのオドラデクが落ち葉がかさこそ鳴るような声で笑っている。一つのフィクションから無数の脳内フィクションが構築される。きちんと伝達できていないということは、表現にとってはむしろプラスに働くこともままにある。
METI
Year: 2020-2021
Material: video, Two monaural speakers remade from dial phones
Time: sculpture: 13’26”
Location: AZUMATEI PROJECT, Solo exhibition “SETI”, Yokohama
映画を鑑賞する際、私たちは登場人物への感情移入という心的活動を行う。言い換えると、映画を通して多元宇宙の旅をすることができる。こうした心的な作用を生み出す映画を題材とし、「意識・感情」を記録することはできるだろうか。
□□□□□□□□□□□は失読症であることが知られている。失読症という状態は、その当事者以外には理解が困難な症状である。ただし、言語表現の限界が私たちの“認識”の限界(−語り得ないことについては、沈黙しなければならない− ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン)であるとすれば、失読症であることは言語の限界を打ち崩す可能性を秘めているとも言えるだろう。地球外文明との交流において、私たちが通常使用している文字記号による伝達は不可能かもしれない。この点において、失読症である□□□□□□□□が体現する意識の葛藤は、私たちの意識の伝達不可能性と、他者との意識共有の限界とも重ね合わせられる。加えて、□□□は、断片的に繋がれた個々の映像内で、その映像世界内での自身の名前(役名など)を口にする。複数の映像を横断する□□□は「名前」という自己のシニフィアンの不安定さに苦悩する姿にも見えてくる。
多くの映像作品に出演する□□□□□□□□は、自己分裂や自己認識における葛藤といった、自己の複数性に思い悩む人物を数多く演じてきた。(そもそも役者というものの性質には、自己の複数性が内包されている。)たとえば、□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□して奔走する。
本映像はこうした□□□□□□□□という人物が映像世界内に生きる姿を重層的に編集し、引き裂かれた自己に葛藤する姿を描き出すとともに、私たちの自己認識の不安定さについても言及するための試みである。□□□が映像の中で演じる人物は、喜怒哀楽を表現し、苦悩を抱える姿としても映し出される。自己を見失いかけながら、複数の時空間を前進し、意識を体現していく。そのような□□□の姿を映像内に立ち上げたいと思った。総じて、人々の意識の形容し難さと、地球外知的生命体(□□□□□□□□は□□□□□□□□□□□□□□□で□□□□□□と名乗る地球外知的生命体を演じてもいる)との交流に向けた、私たちの意識理解の可能性をヴィジュアライズする試みである。
*□は意図的な非公開処理による
Photo (All installation views): Takaaki Akaishi